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2007年1月17日 (水)

大震災、その後

ひろこさんが大震災の朝、家は。、ままぷりさんが怖かった記憶は消えないという
エントリーを書いてますが、私も今日1月17日を忘れないように阪神淡路大震災の
話を書いておきます。

前に、大震災のことというエントリーで、震災の朝の話は書いたので、その後の話
を少し書いてみたいと思います。

家の実家のあたりでは、電気はちゃんと通ってました。ガスもプロパンガスだった
ので、家の中は何とかライフラインが通じてました。もっとも、荷物や本などは、部
屋中に散乱しており、それを片付けることから始めました。その最中にも余震は続
いていました。

それが終わった頃、テレビを点けてみました。地震があったというニュースは流れ
ていました。でも、どこが震源で、どこにどういう被害があるという話は伝わってま
せんでした。暫く経つと、ヘリコプターからの中継が始まりました。そのときの神戸
はひどい有様でした。

テレビの中に見る神戸は、なんだか自分の知らない町のようでした。灘の酒蔵の
あたりでは高速道路が倒れており、三宮のビル群は傾いており、長田のあたりは
燃えていたのです。大学の下宿が多い六甲道のあたりでも、火災が起こっていま
した。そういうのを見ると、気になりだしたのは同級生のことです。火災の起こった
あたりに住んでいる友人もいます。しかし、電話は通じません。何とか、大学の先
生とは連絡がとれ、暫くは自宅待機という話になりました。

友人達の安否が判ったのは、数日後のことでした。私の直接の友人は全員助かっ
ていました。一番危ないアパートに住んでいた友人(そのアパートは震災で潰れて
いました)は、運よく夜行バスで東京へ向かっていて、助かりました。別の友人は、
半分壊れたアパートからなんとか逃げ出し、別の友人宅に逃げ込んでいました。

その後、私は修士論文を書くことを再開したのでした。時々は大学へ行くために、
原付バイクを使って、神戸を横断していたのですが、そのときの話はまた別のエ
ントリーでhappy01

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